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ふるさと探訪 (真岡&芳賀)
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◆私の故郷は栃木県の真岡市です。
真岡市とそこに隣接する芳賀郡の4町(益子町.市貝町.茂木町.芳賀町)は鬼怒川の東に位置し,江戸時代には“陸の孤島”と呼ばれていました。しかし近代になると著しい発展を遂げて...真岡市は住みよい街では常に上位にランクされています。そんな中, 移り行く時の流れの中で...見慣れた故郷の風景や 昔からの習慣などが失われていくのを 寂しく思っている昨今です。当ブログでは, 故郷の風景を見つめつつ デジカメ片手に散策してみることにしました。
                    「ふるさと探訪人」

 
【TOPの画像は気まぐれで, 日々変りますのでご了承願います。】
 



            
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ミゼットと三輪自動車

2012/01/29 20:35
ミゼットと三輪自動車

時々写真撮影に同行させていただいている先輩より, 「真岡市古山の道の側にミゼットが置いてある」との情報が寄せられました。昭和の名車見たさに, 早速行ってみることにしました。

▼ ダイハツミゼット  
ミゼットが発売開始されたのは昭和32年(1957年)で, 昭和47年(1972年)生産が中止されるまでに約33万61千台生産されたそうです。その内の約半分は東南アジア方面に輸出されたようです。

このクルマが何時頃生産されたかは不明です。 ↓  ↓
画像検索で探してみたところ, 一つライトの画像はあったのですが.... 。詳しい情報がありましたら教えていただければ幸いに思います。

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▼ ミゼットの隣にありました。  ↓  ↓
これも多分 ダイハツだと思います。ブログ作成過程ではマツダかなとおもいましたが, ダイハツの画像検索で似たようなのがありました。どこの三輪自動車か探訪人は確定できませんでした。

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≪編集裏話≫
今回紹介した画像ですが, 正確性を期すためにダイハツ様やマツダ様のサイトに訪問させていただきました。情報頂いた先輩のためにも, 早急にネット発信したかったのですが, 探訪人の力量不足で遅くなってしまいました。

( 取材日 2011年7月12日)
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定点撮影 (久下田駅前の郵便ポスト)

2012/01/25 19:23
定点撮影 (久下田駅前の郵便ポスト)

久下田駅前に廃虚となった家があります。そして側には昔懐かしい丸型の郵便ポストがありました。


▼ 2009年7月30日撮影の丸型 郵便ポストです。
以前見かけたときは, ペンキで新たに塗り直されてたんですが...
( これは塗り直される前の画像です )

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▼ 最近行って見ると, 新しいポストになっていました。

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廃虚となった家に掲示されていた, 電器店の看板は健在でしたのでホッとしました。( 取材日 2011年7月12日)
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閉校跡地-30 (与能小学校)

2012/01/22 20:19
閉校跡地-30 (与能小学校)

所在地  芳賀郡芳賀町大字与能1514-2


▼ 田園地帯の中にある「総合情報館分館」, ここが旧与能小学校の跡地です。↓ ↓

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平成10年3月に閉校となった与能小学校ですが, 学校の沿革を紹介しておきます。

 【沿革】
明治6年 6月27日 観音寺に与能学校を創立
   25年11月18日 与能尋常小学校と改称
昭和16年 4月 1日  祖母井町与能国民学校と改称
   22年 4月 1日 祖母井町立与能小学校と改称
  29年 3月31日 芳賀町立与能小学校と改称  
平成10年 3月31日 芳賀町立祖母井小学校と統合
          芳賀東小学校となり閉校
  


▼ 校庭から見た小学校時代の建物です。↓ ↓
校庭の一部はゲ-トボ-ル場として使用されているようで, 長椅子が設置されていました。

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校舎の左側には体育館がありました。↓ ↓
南側の小山や,そこにある2つのトンネルの中で子供たちが遊んだのでしょう。

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▼ 玄関側にあった与能小校歌の碑で, 裏側には学校の沿革が刻まれていました。↓ ↓

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▼ 創立百周年を記念した碑で, 当時の栃木県知事. 横川信夫さんによる「真心」の文字が刻まれています。 ↓ ↓

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▼ 昭和60年度卒業生による手形です。↓ ↓
こうして見える形で残せるっていいですよね...と言いたい所ですが, 閉校への寂しさもあり複雑な気持ちかもしれません。

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▼ 二宮金次郎の像が, 地震による倒壊を免れて建っていました 。↓ ↓

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▼ 真夏の訪問でしたので, 木陰で一休みをして取材終了です 。↓ ↓
 
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一休み後は, 次の取材地である祖母井小跡地に向かいました。
( 取材日 2011年7月12日)
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村上城跡 (市貝町)

2012/01/19 21:33
村上城跡(市貝町) 

今回の「村上城跡」は, 主催の途中の 国道294脇の看板でよく見かける場所です。芳賀郡の探訪をしている私も, 一度は行かなくてはと常々思っていました。城跡に行くには 林の中の細い道を進まなくてはならず, 対向車が来たら完全にアウトです。でも幸いに対向車もなく到着することができました。

到着したものの, 凄く急な石段が続いているのです。体力に自信のない私ですので, 半ば諦めかけていました。すると1台のクルマが来て止まりました。あるデイサ-ビスのクルマでして, 石段を登らなくても行けると教えてくださいました。

▼画面奥が急な石段です。
ここを登らなくても, 左の小道を行けば城跡に到着できるとのことでした。左の方にある石柱が「村上城跡」の案内標識です。↓ ↓

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▼ 教わったように行くと, 城跡に到着です。 ↓ ↓ 
村上城の案内板がありました。 

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案内板です。 ↓ ↓
この画像をクリックしていただければ 内容を読むことができるのですか, 引用として記載しておきます。

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引用=>> 村上城跡  観音山(172.2m)に築かれた山城で, 東西約200m, 南北約250mの規模である。本丸は山頂にあって, 東西約40m, 南北約85mで不整な三角形状をしている。 築城について古文書によれば文治3年(1187)平宗清の守る村上城が落ちたとあることから, 築城の時期は平安時代末頃と思われる。その後, 永和4年(1378), 益子氏の一族村上新助良藤によって現在の遺構のような城が築かれ, 村上氏は3代, 50年にわたって居住したと伝えられている。 ↑ ↑ 以上引用




▼ 案内板の近くに, このようなものも....  ↓ ↓
木の切り株なんですが, 犬の顔にそっくりですよね。
自然のままなのか, 少し手を加えたものなのか確かめはしませんでしたが....。

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▼案内板の先には千手観音のあるお堂が見えます... ↓ ↓

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▼ お堂に行く途中には, このような観音像がありました。 ↓ ↓
観音様の足元で, 祈りを捧げている御2人のお姿... こころに感ずるものがありました。こうした姿って美しいですよね。私も御2人のように, 何かに祈りを捧げる心境になりつつあるのかもしれません(歳をとってきたと言うことかな?)。

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▼ 千手観音堂です。↓ ↓

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付近にあった案内板と, その内容の引用を抜粋引用しておきます。↓ ↓ 
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抜粋引用=>> 村上城跡  
村上城の築城時期は, 古文書によれば平安時代末ごろと思われる。その後, 永4年(1378年)益子越後守正宗の次男, 村上新助良し立龍らによって現在の遺○のような城が築かれたと伝えられている。それ以前は子孫女と称していたが, この時より地名を村上と改称したという。
千手観音
県指定有形文化財 千住観音 ご本尊千住観音像は行基菩薩, 御前立は○○○師の作と伝えられていたが, 御前主は鎌倉時代のものである。栄徳寺は, 弘仁6年(815年)嵯峨天皇の御代に開山されたという。 <<= 以上抜粋引用
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▼ 城跡にはモミジが植えられており, 紅葉の時に再度訪れたいと思いましたが都合により叶いませんでした。

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( 取材日 2011年10月4日)
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閉校跡地-29 (芳賀町.高橋小)

2012/01/16 19:15
閉校跡地-29 (芳賀町.高橋小)

所在地 芳賀郡芳賀町大字西高橋2615
沿革 1996年3月に閉校 (芳賀町立水沼小学校. 水橋小学校. 高橋小学校の3校が合併し、芳賀南小学校として開校するために閉校となる。)



高橋小学校の跡地は, 真岡方面より県道156号を芳賀町に向かう途中にあり, 道路脇には案内の表示がありましたので直ぐに分かりました。

▼ 標識を右折して, 民家の前を通り過ぎると学校の跡地です。 ↓ ↓

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▼ 校門を入り右手には, 校歌を刻んだ碑や時計塔そして二宮金次郎の像などが一箇所に纏められてありました。 ↓ ↓

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▼ ここの金次郎像は地震の被害を免れたようですが, 校庭には積まれた沢山の瓦礫が見られます。 ↓ ↓

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▼ 校庭の隅にあった水場。今はここで手足を洗ったり,水を飲んだりする子供たちの姿はありません。 ↓ ↓

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▼ 過っては子供たちを見守ってきたであろう大木, 今は静かに佇んでいました。 ↓ ↓

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取材は2011年07月26日です。水沼小学校. 水橋小学校. 高橋小学校の3校が合併し、芳賀南小学校となったのですが, 水沼小学校の跡地は現在確認できていません。
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大内村役場

2012/01/15 20:16
大内村役場

所在地 真岡市飯貝478
建築年 昭和4年

鉄筋コンクリート造2階建の村役場の建物 当時の鉄筋コンクリート造は少なかったそうです。保存状態も良いので, 現在は市の資料館として使用されています。

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大内村の沿革
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により,12の村々が合併して芳賀郡大内村が成立しました。そして1954年(昭和29年) 3月31日 真岡町.山前村.中村と合併し真岡町が誕生, 同年10月1日 真岡町が市制施行し真岡市となり現在に至っています。。





▼ 役場の入り口です。 ↓ ↓
クルマで進入できないように鎖で車止が設置されていました。

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▼ 役場の玄関です。 ↓ ↓
約80年前, 農村地帯にこのような建物が出現したわけですから, 当時の人々の驚き?は如何ばかりだったことでしょう。

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▼ こちらは建物の西側の出入り口です。↓ ↓

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▼ 庭の東には「忠魂碑」が建っていました。↓ ↓

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(取材に訪れたのは, 昨年の9月22日でした)
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今年の初探訪

2012/01/12 19:17
続. 道路の真ん中にお地蔵様

昨年後半からブログの更新も滞っていましたが, 停滞から抜け出すべく初探訪に出かけてみました。出かけた先は,昨年訪れた「道路の真ん中のお地蔵様」です。

昨年に訪れたのは, 3月10日でした。まさか...翌日に「東日本大地震」が発生するとは,夢にも思いませんでした。時が経過するにつれ, 「道路の真ん中」のお地蔵様はどうなったかと案じていました。

お地蔵様の場所に行くと
1年前と換わらぬ姿で, 私の前に姿を見せてくれました。

寒い時期ですので
お地蔵様の装いも暖かそうでした。

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近くに寄ってお顔を拝見させていただきました。 ↓ ↓
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少し左よりです ↓ ↓

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そして背後よりです ↓ ↓

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そして右側より... ↓ ↓

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お地蔵様の表情は, 見る位置により異なってくるんです。不思議ですよね...。なんて感心しているのは私だけかも知れませんが...。

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こうして拝見していると, 親しみが湧いてくるから不思議です。
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