訪問ありがとうございます

新年おめでとうございます

そして 訪問ありがとうございます
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井頭の秋

井頭の秋-1 (12-11-11)


久しぶりに行く井頭公園です。

公園の入り口 玄関も すっかり 秋景色

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はなちょう遊館の周囲も秋景色

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この日は曇り空でした。
園内では,何処かの写真クラブ? の方たちが撮影会をしていました。
モデルさんも居て...。
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市内散策(真岡の秋)  

2012/11/01
市内散策(真岡の秋)  


いろいろ忙しい? 「ふるさと探訪人」ですが11月になり,季節は晩秋に向かっているのを感じています。忙しさを言い訳にして, すっかり故郷探訪を怠けてしまいました。

◇ 今日は(11月1日) 市内散策というには気が引けるのですが
真岡市の図書館前のイチョウとかを撮影してきました。黄葉にま時期が少し早かったようです。 もう少ししたら再訪して,黄葉の撮影をしたいものです....

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◇ 新国道294の道路沿いには

「真岡百景」の新たな看板が設置されていました。

真岡市の東にある 根本山の紅葉と そこで咲く冬桜です。

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◇ 真岡百景の取材をしましたので
他の掲示場所にも行ってみました。

ここは 真岡木綿会館です。
真岡木綿の実演なども行っています。
ここにあった昔からの建物利用した観光案内所は,先の地震で痛手をこうむり解体されました。

ここでの「真岡百景」は
お盆の時期に行われる 行屋川の灯篭流しでした。

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探訪人はまだ行った事がありませんが,幻想的な光景に憧れています。


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久しぶりの茂木探訪

2012/10/01
久しぶりの茂木探訪


諸般の事情によりブログの更新も滞る日が続いていますが, 久しぶりに茂木方面に出かけてみました。時間が制約されているので,自宅を7時に出発して10時に帰宅する予定です。

行った先は,お堂に咲く彼岸花と石仏の撮影です。
昨夜の台風の影響で,彼岸花も倒れているかなと案じながら行きましたが倒れることなく咲いていました。

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彼岸花の先には,お馴染みの石仏が.... ↓ ↓

何時もと変わらぬ姿で迎えてくれました。 

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春夏秋...と時が流れ 周りの景色も変わり行くなかで ↓ ↓

迎えてくれる石仏に接するとホッとします。

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お堂に行く階段の周りも彼岸花が沢山咲いていました。↓ ↓

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お堂を後に,次の撮影地に向かいましたが.....

途中の道端に山栗が落ちていました。当初は予定してなかったのですが,急遽山栗拾いをすることになってしまいました。何箇所かの場所で拾った山栗です。↓ ↓ 

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夢中で拾っていたら,帰宅予定時間が迫っていたので帰途につきました。


帰り道は「もてぎ道の駅」を通過しましたので,立ち寄って「棚田米」を買ってきました。

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帰宅したのは予定より遅れて10時30分でした。それでも沢山の山栗の収穫があったので大満足です。
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太平(たへい)神社の紫陽花 (益子町)

▼太平(たへい)神社の紫陽花 (益子町)


太平神社は鹿島神社南の山林内に鎮座しており,紫陽花で有名です。毎年 6月24日には献花際が行われますが, これは巫女装束を着た稚児4名が, 神前に紫陽花を捧げる行事だそうです。
神社周囲には 約7,000株の紫陽花があり,訪れた人たちを楽しませてくれています が, 雨の日に訪れると風情があるだろうなあ~なんて思いました。   

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▼斜面にも紫陽花が咲いています。 ↓ ↓ ↓

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▼近くに寄って紫陽花を撮影してみました。 ↓ ↓ ↓
離れて見るのとは異なって, 花の表情が見られます。

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▼ 隣接するお寺の駐車場よりのカットです。 ↓ ↓ ↓ 
視点を変えると別の光景が見られるんです。こんな光景を撮影するのも意義があるような気がします。

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( 取材日 2012年7月5日 )
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棚田

棚田


初めは芳賀町の祟真寺の訪問でした。それから北に向かって,那須烏山市を通過しました。途中に棚田もあったので撮影しましたが,勉強不足で烏山の棚田情報は皆無でした。

▼ 竹原の棚田

烏山から国道294を茂木方面に向かいます。その途中に茂木の生井地区に向かう分岐点があり,そこを左折して道なりに進みました。生井地区は何度か訪れた場所です。廃校の取材でも何度か訪れています。山の中に,お馴染みの二宮金次郎の像がありました。この像の場所でクルマを停めて撮影....

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その後は,更に進みます。
目指すは竹原の棚田です。山道を進みます.... 山道と言っても一応は舗装されていますが, 対向車が来たらドギマギしそうな道です。

竹原の棚田に到着です。 ↓ ↓ ↓
手入れする人達が不在なのでしょうか?? 少し荒れているように感じました。同行した大先輩の言葉ですが「高齢化が進み,若い人は勤めに出てしまって...手入れする人もいないんだろうなあ~」が実感として感じました。

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山間地ですので猪の被害も多いようです。↓ ↓ ↓
猪対策の電線も設置されていました。

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里山の光景 。↓ ↓ ↓
竹原の棚田を後に,次の訪問地である「石畑の棚田」に向かえます。これは途中の里山の光景です。限られた敷地に田圃を作るのが棚田, それすら出来ない土地には....いろんな工夫がされコンニャク畑となっています。

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▼ 石畑の棚田

石畑の棚田に到着です。ここは「日本棚田100選」に選ばれています。

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田植えの済んだ田圃は,苗も育ち深緑で覆われていました。

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日々育ち行く棚田の稲.......

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暑い夏を乗り切ると,稲刈りが待っています。

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オ-ナさん達も参加して稲刈りも始まります。

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稲刈りや,その後の「おだがけ」の光景を思い浮かべながら
棚田を後にしました。

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( 取材 2012年7月5日 )



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祟真寺を訪問しました

祟真寺を訪問しました


訪問するのは,桜の時期以来だから3カ月ぶりです。

真言宗稲毛田山金剛王院 祟真寺
    (北関東三十六不動尊霊場第二十番札所)
ご本尊は 胎蔵界大日如来
所在地 芳賀郡芳賀町稲毛田1400 

▼ 祟真寺の本堂です。 ↓ ↓
これは2年前の画像ですが..... 現在も同じ光景が見られました。

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▼ 回廊で繋がった先には「犬切不動尊」があります。 ↓ ↓
犬切不動明王は60年に1度開帳されるとのことですが, 今度開帳されるのは何時なのか確認はしませんでした。

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▼ 本堂の前にはお地蔵様がありました。↓ ↓
前回の訪問時にはありませんでしたので, まだ新しいようです。
それそれれが異なる表情をしていました。

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お地蔵様の頭上にはトンボがとまっていましたが, 慈悲深いお地蔵様は追い払うことはしませんでした。↓ ↓

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▼ 鐘楼堂です。↓ ↓
先の地震で崩壊してしまいました。

地震直後の画像。↓ ↓

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今回 訪問時の鐘楼堂です。

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▼ 境内にあった案内板ですが,その内容を引用しておきます。

(引用) =>>【 真言宗稲毛田山金剛王院 祟真寺 
北関東三十六不動尊霊場第二十番札所
当山の伝承によれば, 聖武天皇の神亀5年(728年)9月, 吉星あらわれ, 四分割の一つが下野芳志戸郷(地祇森)に落ち, 天文博士に命じ占星しむるに天下泰平の兆しなるが故, お堂を建立師, 金剛王院と勅号を賜り, 八丁四方の田畑を給与し高僧妙尊上人を遣わしたのが起縁である。  平城天皇の大同2年(807年)2月, 弘法大師奥州湯殿山開基の途中, 当山に7日間御滞留し護摩修行結眼日に不動明王が現れ, これが衆生に結縁し, 一夜のうちに彫刻して当山に安置された。  ある年, 数度の供物喰失を叱責された小僧は, 汚名を晴らそうと不動明王に21日間の祈願, 結願の朝堂内に子牛大の白猛犬が倒れ居り, 御真剣に血が付しており, 犬の仕業と判明した。以来, 開運犬切不動明王と呼ばれるようになった。60年に1度開帳される。 】 <<= (引用)


茂木の深沢&逆川小

1年ぶりの跡地(茂木の深沢&逆川小)

(取材日 2012年5月30日)

茂木町の深沢地区に行ってきました。林道の見晴台より見た里山の風景です。 ↓  ↓

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帰り道に深沢小学校の跡地を通りましたので, 懐かしくなり立ち寄ってみました。↓  ↓

ここは昨年の8月4日に訪れて以来ですから10ヶ月ぶりになります。(ブログ掲載は今年の5月17日と遅れてしまいましたが....)。 10ヶ月前と同じ光景があり,二宮金次郎の像が迎えてくれました。此処だけは時間の流れが止まっているかのように感じられます。 ↓  ↓

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コンニャク工場跡も前回と同じままです。↓  ↓

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次に向かったのは旧逆川小学校の閉校跡地です。↓  ↓
ここは現在は福祉施設「ききょう園」として利用されています。

旧逆川小学校時代の門柱です。画面右の方に「ききょう園」の表示が見られます。左の建物は逆川保育所です。↓  ↓

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これは地震で崩壊した時のままでした.... 。↓  ↓

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移転された旧宿直室の建物 ..... ↓  ↓

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側に建つ石碑 .... ↓  ↓
前回は確認しませんでしたが, 「逆川尋常小学校 増築敷地寄贈」の文字が刻まれていました。大正13年3月の建立ですから 約90年前になります。

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「ききょう園」の建物と校庭跡の時計塔ですが, ここも前回と同じでした。 ↓  ↓

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(取材日 2012年5月30日)

閉校跡地-37 (茂木町立千本小学校)

閉校跡地-37 (茂木町立千本小学校)

(取材日 2011年08月06日)

千本小学校の跡地は,国道294を烏山に向かう途中にあります。現在は須藤小学校となっていますので,跡地と呼んでよいのかどうか?。

▼ この坂道を上ったところにあるのが千本小学校の跡地, 現在の須藤小学校です。 ↓ ↓

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▼ 沿革
千本小学校の沿革です。 ↓ ↓

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▼ 千本小時代の碑  ↓ ↓
敷地の一画に千本小学校に関する碑とかがありました。

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 百周年記念碑  ↓ ↓

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 二宮金次郎像 ↓ ↓

これれに関しては,他の閉校跡地の取材でも見てきましたが, ただ唖然とするのみです。我が真岡と芳賀郡の大恩人像が, 先の震災により崩壊してしまったことへの複雑な思いです。

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 校庭と体育館  ↓ ↓

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【これで茂木町の閉校跡地の取材は終了します。あと一校あるのですが,最近は事情がありまして場所を探したりしながらの探訪ができません。何時か落ち着いたらチャレンジしたいと思います】 (取材日 2011年08月06日)

2012井頭薔薇園-2

2012井頭薔薇園-2


23日に訪れた時は,薬剤散布のため中に入ることは出来ませんでした。今回は再度の訪問です。


▼ 薔薇園を入り口から見て撮影しました。...

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これはド-ム前の光景です ↓ ↓
今が見ごろとばかりに咲いています。

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▼ジョンFケネディ
アメリカ45大大統領を記念して付けられたのだと思います。
過去数年の撮影で満開になった花を見るのは初めてでした。

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▼ノックアウト
これらの品種は共に「ノックアウト」の名前が付いています。

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▼こちらもエリザベスが名前に付いています。

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▼マリアカラスです。
黄色をバックにして咲く花は印象的でした。

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▼ 棚に咲いてる薔薇の花
この光景 好いと思いませんか??

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下野薬師寺跡

下野薬師寺跡

2012/05/27


● 最初に下野市のHPより「薬師寺」に関する案内を紹介しておきます。

引用(抜粋) ==>> 下野薬師寺は、7世紀末、創建されたと考えられています。
西暦710年(和銅3年)に、都は藤原京から奈良の平城京へと移り、律令国家の制定とともに、国を仏教の力で治める「鎮護国家」の確立が推し進められました。それにともない、都はもちろんのこと、地方でも寺院が整備されていきました。下野薬師寺も、国によって整備され、東国における仏教施策の一翼を担う、重要な寺院として位置づけられるようになりました。

 仏教が隆盛するに伴い、様々な問題も現れ始めます。まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきたこと、そして、生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、勝手に出家し僧を名乗るようになってきたことです。これに困った朝廷は、僧侶としての資格を与える“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決め、そして“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、そして東国の下野薬師寺の3カ所と定められました。下野薬師寺は、東海道の足柄峠、東山道の碓氷峠より関東・東北の僧に戒を授けることのできる、大変重要度の高い寺院となり、ますます隆盛を極めることとなります。

 しかしながら、下野薬師寺は、9世紀中頃に大火災に見舞われ、伽藍の中心部が焼失してしまいました。また、国家仏教の衰退とともに、新興宗派が興り、比叡山などに戒壇を置き、独自に戒を授けるようになりました。それに伴い、これまでの「三戒壇」の地位もゆらぎ、次第にその役目が失われていきました。その後、廃寺となりかけた下野薬師寺を、鎌倉時代に慈猛上人が復興。しかしながら戦国動乱の時代、1570年11月に、下野薬師寺は、小田原北条氏と結城多賀谷氏との戦いの中で焼け落ちたと、『薬師寺縁起』が伝えています。その時、寺の貴重な記録も失われました。 <<== 以上抜粋引用


●  それでは薬師寺跡の探訪です。
 
歴史館を出て, 下野薬師寺跡に向かいます。画像の奥にあるのが薬師寺跡地です。周りは農耕地でして,散歩する人の姿も見かけられました。遠い昔の寺の跡地と,散歩する人の姿... それぞれに生きている時代を感じます。

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薬師寺の歴史館で頂いたパンフレットよりです。↓ ↓
今回取材した場所は, 史跡総合説明盤と復元回廊それに安国寺六角堂です(拡大して見てください)。

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史跡総合説明盤です。  ↓ ↓

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復元回廊です。 ↓  ↓
講堂から西回廊に繋がる部分です。

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復元された回廊と  ↓ 

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その内部です。 ↓ ↓

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これは六角堂です。。。↓ ↓

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そこにあった案内掲示板よりです...
引用==>> 【 下野市指定有形文化財  安国寺の 六角堂
は, かっての下野薬師寺戒檀跡と伝えられる所に建てられています。江戸時代には, 釈迦堂とよばれ, その姿は, 文化二年(1805)に刊行された「木曽路名所図絵」によっても確認できます。 現在する建物は, 近年に修繕されち部分も少なくありませんが, 部分的には江戸時代後期の様式をとどめています。また, その名の通り建物の形, さらに屋根.外回りの柱. 磯石までが正六角形造りの県内でも珍しい仏堂です。現在では下野薬師堂のシンボル的な存在にもなっています。 内部中央には, 鑑真和上の画像を収めた厨子が安置されており, 両脇には, 木造の不動明王像.韋駄天像などが祀られています。 】 <<== 以上引用

歴史館で頂いた子供向けのパンフレットですので,拡大してご覧ください。 ↓ ↓

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◆下野市のサイトよりの「薬師寺」に関する案内はこちらでご覧ください。 ↓ ↓
http://www.city.shimotsuke.lg.jp/hp/page000002200/hpg000002161.htm

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2012/05/24  下野薬師寺歴史館

下野薬師寺歴史館


 「下野薬師寺歴史館」は, 薬師寺跡に隣接して建てられており、発掘調査で出土した瓦や出土遺物、薬師寺関連の文献史料、判明した伽藍模型などを展示しています。 

所在地 下野市薬師寺1636
電話 0285-47-3121

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▼ 下野薬師寺復元模型  ↓ ↓
入り口を入ると, 正面にある復元模型が目に入ります。入り口左側に受付がありますので,案内のパンフレットなど頂きました。 その前に簡単なアンケ-トの記入があります。

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 復元模型の前には「下野薬師寺の伽藍」の説明が掲示されていました。↓↓ 

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説明掲示板より引用 ==>> 『 下野薬師寺の伽藍  下野薬師寺は, 7世紀末に創建され, 三戒壇の一つが置かれた東国筆頭の寺院。8世紀前半に改修された伽藍は, 地方寺院としては破格の規模で, 中央の国大寺に比肩するものであった。この模型は9世紀ごろの隆盛時を想定したものである。 広大な寺院地を瓦葺板塀で囲い, その西寄りに中心伽藍を置く。南門, 中門, 金堂, 講堂を南北一直線に配し, 中門から出た回廊が講堂に結ぶ配置は, 下野薬師寺独特のものであった。金堂の北西と北東にも基壇建物が配置される。講堂の北にも講堂と同規模の基壇建物がある。東回廊の東約70mにある五重塔は, 9世紀に再建されたもので, もともとは回廊内にあったらしい。東回廊と塔のほぼ中間には幢竿が立てられていた。戒壇跡はいまだに見つかっていない  』  <<== 以上引用

▼ 館内の展示品です  ↓ ↓

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▼ 回廊の原寸大模型 ↓ ↓

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▼ 歴史館内より見た薬師寺跡  ↓ ↓

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次回は「下野薬師寺跡」を紹介します。(取材 2012年05月24日)


▼ 歴史館の案内パンフレットより  ↓ ↓

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下野市のHPよりの「下野薬師寺歴史館案内」です。 ↓ ↓
http://www.city.shimotsuke.lg.jp/hp/page000005700/hpg000005619.htm
  
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井頭薔薇園-1

2012 井頭薔薇園-1


我が家の庭に咲いた薔薇の花を見て, 井頭公園の薔薇が見たくなり出かけてみました。公園の木々の深緑の葉が心を癒してくれます。

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● 薔薇園に到着しました。 ↓ ↓
  何と「薬剤散布中」で立入り禁止となっていました。
  ド-ムに咲いた紅い薔薇が見えるのですが, 行くことはできません。

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● 何時も訪れると真っ先に行く紅い薔薇も咲いていました。↓ ↓ 

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● ド-ムに咲く紅い薔薇の花 ↓ ↓
  ズ-ムで目一杯に引き付けて撮影してみましたが。。。

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● 駐車場の側に咲いてた黄色の薔薇 ↓ ↓
  近寄って撮影できた唯一の画像です。

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薔薇園も見ごろはこれからですので, 日を改めて訪れることにしました。


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閉校跡地-36 (茂木町立深沢小学校)

閉校跡地-36 (茂木町立深沢小学校)


茂木町の南部にある深沢地区には, 茨城県桜川市の岩瀬地区までを結ぶ県道286号線が通っています。その県道の道路脇に深沢小学校跡地がありました。

【沿革】
明治 8年 5月18日 飯発豪舎分校として創立
昭和40年12月 5日 創立90年記念式典を挙行
昭和50年 6月20日 創立100周年記念式典を挙行               
昭和63年  茂木町立逆川小学校に統合


▼ ここが深沢小学校の跡地です。↓ ↓

県道286号線を岩瀬方面に向かっていると, 道路脇に門柱がありました。そして, その横には二宮金次郎の像も見られます。

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 逆川小ス-クルバス元深沢小学校待合所です。↓ ↓

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▼ 創立100周年の記念碑。↓ ↓      

      たくましく
         明るく伸びる
       ふかさわの子ら

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 記念碑の裏側には碑文が刻まれていました。↓ ↓

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引用 ==》 本校は 明治8年5月18日 発豪舎分校として大字深沢正光寺を仮校舎として創立明治18年学制の改革により一旦廃校となるも ??先輩の努力により分校として在置する 明治25年小貫小学校の分校と校名は移り変る その間この里の文化の進展と児童の教育の振興をはかりながら歩み 創立百周年を迎える 深沢小学校が永久に未来に向かって力ら強く歩み続けることを願い創立百周年を記念し 記念事業の一環としてこの碑を建てる   昭和50年6月28日 茂木町立深沢小学校創立百周年記念実行委員会  《== 以上引用

▼ 学校跡敷地内より, 門柱越しに見た県道286号線です。↓ ↓

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▼ お馴染みの二宮金次郎の像。↓ ↓

地震による崩壊から免れて健在でした。 

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 道路を右方向に進むと岩瀬方面です。↓ ↓

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 跡地周辺の光景です。↓ ↓
 田圃の畦には猪対策の電気柵が設置されていました。

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(取材日 2011年08月04日)
茂木の閉校跡地16箇所のうち14校目です。次は千本小跡地です。


初夏の井頭公園

初夏の井頭公園

2012/05/04 初夏の井頭公園からです。
かなり遅れてのUPとなりましたが,
取材当日の日付でネット発信とします。

連休の真っ只中
多忙の中で過ごしている管理人ですが
合間を見て行ってみることにしました。

小雨が降る中 傘をささずに撮影開始です。

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次の私的予定が迫っていましたので, 撮影のみとなりました。牡丹の品種とかは確認しないままの撮影で申し訳ありませんです。


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閉校跡地-35 (旧逆川小学校)

閉校跡地-35 (旧逆川小学校)

所在地  芳賀郡茂木町飯1694番地
      ( 現在は  老人フオ-ム ききょうの里)
【沿革】

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●  旧逆川小学校時代の門柱です。 ↓ ↓
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画像を拡大すると「.... 小学校」の文字が確認できます。 ↓ ↓ 

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● 門柱の裏側には「御即位奉祝記念」の文字が記されていました。↓ ↓
大正天皇即位の礼は、1915年(大正4年)11 月10日に京都御所紫宸殿で行われたましたが, それを記念して建立されたようです。

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● 跡地は 「老人フオ-ム ききょうの里」として運用されています。↓ ↓

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● 敷地の片隅には卒業記念碑がありましたが, 地震で倒れてしまったようです。↓ ↓

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● この碑は何なのか確認できませんでした。↓ ↓
画像左側の建物は, 学校時代の宿直室を移転したものらしいです。ホ-ムに来訪された方より伺いました。

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● 訪問したのは2011年8月4日 真夏の暑い日でした。↓ ↓

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沿革にて紹介してありますが, 旧逆川小学校は小貫小学校. 深沢小学校と統合されました。そして別の場所に新しい逆川小学校として開校されています。

平日の北真岡沿線

平日の北真岡沿線


SL運行時は賑わった沿線も, 平日ともなると人影もあまり見かけることはありません。

● 近くの踏切りより見た北真岡駅です。 ↓ ↓
踏切りを渡る自転車の人, ホ-ムの片隅では花見を楽しんでいる人たちの姿も見られます。長閑さの中で, 時間が停止してるようにも感じられます。

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時折風が吹き, その度に花弁が散る光景は風情を感じさせてくれます。↓ ↓ 

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● 北真岡駅に到着した列車 ↓ ↓
この場所での撮影は誰もいませんでした。

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● 駒塚踏切りよりの撮影画像です。↓ ↓
ここでも線路の上に散る花弁が見られました。奥は先ほど撮影していた踏切りです。

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線路を横断して流れる川の水面にも花弁が....... 。↓ ↓
沿線の春も, 初夏に向かって少しづつ移動しているようです。

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( 取材 2012年04月18日 )

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宗光寺と八幡宮の桜

宗光寺と八幡宮の桜

(1) 宗光寺
旧二宮町長沼にある宗光寺 桜の季節に訪問しました。前回は昨年の3月10日, 次の日に大地震が起こるなんて夢想だにしませんでした。今回の訪問にあたっては, 再び大地震が起こるのではと不安の中での訪問でしたが何事も起こらなくて安堵しています。

“関東ふれあいの道”のコ-スにある宗光寺は長沼八幡宮と芳善寺の間に位置し, 寺のある場所は過っての長沼城跡でもあります。 宗光寺のサイトです →  http://www.cs-gbs.com/soukouji/

1年ぶりの訪問です。前回も同じ桜の時期でしたが,目的は史跡探訪でした。桜も 未だ見ごろにはなっていませんでしたが, 次の日に大地震が発生するとは思いもつかぬままの取材でした。

今年は桜の花も満開...と言うより葉桜に移行しつつありました。来るタイミングが遅かったかな,そんな思いの中での取材です。

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地面には桜の花弁が落ちていました。 ↑  ↑

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ここにも花弁が落ちています。。。  ↓ ↓

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鐘楼堂と桜です。 ↓ ↓

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(2) 長沼八幡宮

宗光寺から真岡市街に向かう途中にあります。道路脇の桜は,八幡宮の参道の桜です。 ↓ ↓

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鳥居越しに見た参道の桜...... ↓ ↓

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ゆっくりと 桜を楽しみ満喫したかったのですが, 今年は公私共に多忙でして心行くままに取材することはできませんでした。

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木幡小跡地の桜と芳賀富士

木幡小跡地の桜と芳賀富士.....  

【 桜と芳賀富士 】

「昭和ふるさと村(木幡小学校跡地)」への経路は国道123号線を茂木方面に向かい, 「道の駅 茂木」手前の交差点を右折。 県道206号線を10分ほど進むと, 左側に案内標識があります 。

● 県道206号より左手に見える小高い丘, ↓ ↓
  これが旧木幡小学校跡地の「昭和ふるさと村」です。

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●  坂道を上がっていくと, 桜の木の下に校門がありました。↓ ↓

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●  そして校門を入ると, 左手にご覧のような建物が目に入ります。
  旧木幡小学校の校舎だった建物です 。↓ ↓ 

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●  背後を振り返ると, 校門の両側の桜と芳賀富士が..... 。↓ ↓  

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●  今回の訪問は, 桜と芳賀富士の取材が目的です。↓ ↓

いろんなアングルで撮影しました。
その中の何枚かをUPしてみます。 

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【 木幡高幡遺跡 】 体育館の南?側には, このような案内板が設置されていました。

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内容を引用しておきます。
引用→ 茂木地内には, 縄文時代中,後,晩期の遺跡が多く, 高幡遺跡はその代表である。 木幡小学校の建つ高台一帯が集落遺跡である。 西側に逆川が北流し, 自然に恵まれた環境にあり, 県内でも著名な遺跡の一つである。土器や石器その他の用具も精巧で優美なものが多い。 土偶, 岩遇, 土瓶, 石剣など信仰や儀式に関する遺物をはじめ, 耳飾りなどの装身具も多く出土している。 特に注口土器は, 晩期の特徴をもつ逸品である。 その遺物は, 木幡小学校に保管されている。  茂木町教育委員会 ←以上 引用



閉校跡地 (茂木町立小貫小学校)

閉校跡地 (茂木町立小貫小学校)

【所在地】  芳賀郡茂木町小貫1761

【沿革】
     明治 7年10月  安楽院に開設する
         8年 7月  学校を安養寺に設置し,一貫舎と称する
     昭和 2年 4月  現在地に新築移転する
        16年 4月  逆川村立小貫国民学校となる
        21年 3月  逆川村立小貫小学校となる
        29年 8月  茂木町立小貫小学校となる
        62年 4月  逆川小へ統合のため閉校となる

          
● 閉校跡地は道路沿にありますが, ややもすると通り過ぎてしまいそうです。

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● 昨年建てられた「小貫小学校跡地」の碑で,
裏側には学校の沿革が刻まれていました。↓ ↓

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● 桜の下の二宮金次郎  ↓ ↓
過って小貫小学校の生徒たちも, これと同じ光景を見たのでしょうか.......

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● 手前の桜の木は, 先の地震で枝が折れてしまいました。
折れた枝を短く切った束が残っていました。↓ ↓

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   前回来た時の画像です。↓ ↓

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● 来たのは昨年の9月6日, まだ緑の中でした。↓ ↓

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● 二宮金次郎も緑の中で働きながら勉強。。。↓ ↓

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● 校庭の跡です。↓ ↓
一部分はゲ-トボ-ル場になっていました。

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● 学校跡地であったことを示すバス停の標識 。↓ ↓
「元小貫小学校前」の文字が見えます。

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待合所の建物で地元のオバアサン3人が休んでいましたが, 今回は居ませんでした。↓ ↓

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次は「昭和ふるさと村」... 木幡小跡地です。

閉校跡地の枝垂桜 (文谷小)

閉校跡地の枝垂桜 (文谷小)

市貝町にある「文谷小学校」閉校跡からの枝垂桜です。ここを最初に訪れたのは,昨年の9月6日のこと,「閉校跡地」の取材ででした。今回はここを始めとして,茂木にある閉校跡地の桜を探訪してみることにしました。

▼ ここに学校があったことを示す?かのように, 道路脇に門柱が建っています。裏側には「昭和七年五月建之」の文字が刻まれていました。 ↓ ↓

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▼ 枝垂桜と説明掲示板です。奥の建物は地域の集会所でして, 残念ながら学校時代の建物ではないようです。 ↓ ↓
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▼ 桜の花越しに見た, 芳賀町方面に続く道路です。↓ ↓

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桜と菜の花とSL

桜と菜の花とSL
週末の北真岡沿線は,「桜と菜の花とSL」 の三拍子そろう貴重な2日間でした。満開の桜と最盛期の菜の花,そして昨年は地震の影響で運行しなかったSLですが, この時期に走るのは2年ぶりです。

(1) リス村付近 (第二駒塚踏切)

下りの茂木行きSLを撮影するため, 踏み切り付近に集まった人たち。物凄い人数で熱気さえ感じられます。↓ ↓

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道路側より北真岡駅方面まで,隙間なく列が続いています。 ↓ ↓

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多くの人が待ち受ける中,SLが遣って来ました。↓ ↓
この瞬間を待ってましたと言わんばかりに, シャッタ-の音が鳴り響きます。 

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目の前を通過するまでの, ほんの僅かな時間ですが.....SL撮影の醍醐味を感じる瞬間です。 

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(2) 駒塚踏切

上り下館行きの撮影は, 午前の撮影地より北真岡駅よりの「駒塚踏切」からでした。到着したのは通過20分前, 当然ながら多くの人で満員でした。↓ ↓

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遅く行きましたので気に入った場所の確保はできません....。↓ ↓

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SLが目の前を通過しょうとする瞬間
全てを忘れてシャッタ-を押し続けました。↓ ↓ 

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満開の桜も, 1週間後には葉桜になっていることでしょう。
来年の撮影を楽しみに待ちたいと思います。

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芳賀町祟真寺の桜

3月13日 午後の訪問探訪です。

訪問の行程は最初に市貝町の文谷小跡地。ここは枝垂桜が目的でした。ところが残念なことに,訪問が早すぎたようです。閉校跡地の稲毛田小と南稲毛田小も早すぎたようです。そこで主目的の祟真寺の桜の紹介をします。

祟真寺の桜(芳賀町)

山門の両側には桜が満開。↓ ↓

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屋根を覆うように枝が伸び,花も咲いています。↓ ↓

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これはいぬきり不動尊 。↓ ↓

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鐘楼堂の背後には桜も咲いているのですが,建物は昨年の地震で崩壊したままでした。↓ ↓


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こちらは健在で,桜の花と同化して日本の春を演出しています。

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昨年の4月に訪問した時のブログ記事です。 ↓ ↓
http://mypo208.at.webry.info/201104/article_10.html

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【ふるさとの桜探訪】

【ふるさとの桜探訪】

ふるさとの桜を訪ねて,何箇所か集中的に廻ってみることにしました。行く先は益子町の田野地区と,真岡市の二宮尊徳の陣屋跡です。


(1) 光明寺の枝垂桜

最初は益子町山本にある光明寺の枝垂桜です。ここは昨年も訪れて,すっかり魅せられてしまいました。

真言宗智山派  光明寺
     芳賀郡益子町山本1146  

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樹齢100年を遥かに超えるこの枝垂れ桜, 高さは25mに及ぶとか。細枝が糸のように長く垂れ下がっていることから, 別名イトザクラとも言われるそうです。

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午前の早い時間の訪問でしたので,訪れているのは私のみでした。

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流れ落ちるような枝垂れに圧倒されつつ
満開?の木の下に佇んでいると 時間の経過も忘れそうです

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昨年のブログ記事です。
http://mypo208.at.webry.info/201104/article_5.html


(2) 田野小学校跡地の桜
次は 田野小学校跡地の桜です。光明寺に行く途中に通った長堤交差点の近くにありました。

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ここは田野小学校があった場所です。昭和62年4月に東田井・小泉分校を統合したのを機に,新校舎が別の場所に開校したため 現在は運動公園として利用されているようです。

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 地元の方がグラウンド整備をしていました。

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桜の根元には,昭和50年卒業生による石碑「天をつく大木になれ」が残されていました。その時の卒業生も現在は48歳になりますが,それぞれの人生を歩んでいることでしょう。


(3) 小泉分校跡地の桜

すっかりお気に入りとなった場所で,過去に2度ほど訪れています。前回は桜の時期は過ぎていましたが,今回はバッチリゲットできました。

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最初に訪れた2010年のブログ記事です。↓ ↓
http://mypo208.at.webry.info/201007/article_6.html


(4) 桜町陣屋の桜
そして最後は桜町陣屋の桜です。ここは四季を通じて度々訪れています。

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2010年に訪れた時のブログ記事です。↓ ↓
http://mypo208.at.webry.info/201004/article_18.html

ここまでで午前の予定は終了しました。午後は市貝と芳賀町方面に出かけてみます。
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川岸付近の桜(行屋川)

川岸付近の桜(行屋川)


 海潮寺山門と桜  ↓  ↓

この場所は,桜の時期になると行く場所です。今年も行ってきました。
山門は文化3年(1806)に建立され, 大谷石の瓦で葺かれた屋根は類例が少なく栃木県指定重要文化財に指定されています。

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 台の山公園の桜

台の山公園は海潮寺の東にあり,旧真岡の町並みや遠く八溝の山々を見渡すことができます。


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公園の場所は小高い丘になっていて, 昔は真岡城の敷地でした。江戸時代後期には二宮尊徳(金次郎)も同じような光景を目にしたかも....

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 清風閣付近の桜

ここは言葉はいらない!!
見事な 桜のトンネルが続きます。

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空を飛ぶ 未確認飛行物体  ↓ ↓


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実は 真岡の「いちごテレビ」の依頼による,上空からの撮影でした。
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懐かしい城山公園の桜

2012/03/28
懐かしい城山公園の桜


もう直ぐ桜の季節ですが, 真岡の人達を楽しませてくれた城山公園の桜... 先の地震により殆どが被害を蒙ってしまいました。今回は画像蔵より往時の姿をアップしてみました。2005年の撮影画像です。

● 公園より見た東方の光景です。
遠くに体育館の屋根が見えます。 ↓ ↓
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● 同じく東方 延びる道路は,市役所方面に続いています。 ↓ ↓
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● 公園内にあった展望台   ↓ ↓
地震で崩壊してしまい, 今は見ることはできません。
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● 南東方面です。
遠くに八溝山系を見ることができます。 ↓ ↓
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● カメラを足下に向けてみると
このような光景が飛び込んできます。 ↓ ↓
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● 西方NTT方面です。  ↓ ↓
画像にある石碑や石塔も地震で崩壊してしまいました。
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現在の城山公園です。  ↓  ↓

● このあたりに展望台があったのですが, 地震により崩壊してしまい撤去されました。 ↓ ↓
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● 公園の東側の桜の木も今は見ることができません。 ↓ ↓
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閉校跡地-33 (芳賀町立稲毛田小学校)


閉校跡地-33 (芳賀町立稲毛田小学校)

  
【所在地】
芳賀町大字稲毛田1532
(現在は  社会福祉法人 こぶしの会の第2けやき作業所
   社団法人 芳賀町シルバ-人材センタ-として利用されてます)

【沿革】
  明治 7年 8月 9日   仮校舎を来迎寺に設置し、格致館と称して開校
  昭和29年 3月31日    町村合併により芳賀町立稲毛田小学校となる
     49年11月 3日   創立100周年式典を挙行
  平成12年 3月27日   閉校式を挙行する
          3月31日    稲毛田小学校を閉校
          4月 1日    芳賀東小に統合


▼ 校門に近づくと,校舎の前に積まれた瓦礫が目に入りました。東日本大震災の傷跡がここにも見られ,被害の大きさを改めて感じさせられます。 ↓  ↓
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▼ 玄関前にあった「閉校記念碑」です。  ↓  ↓
先の地震で崩壊してしまいました。校歌の刻まれた碑は倒れたままなので,裏に記された沿革は確認できませんでした。
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▼ 「なかよし広場」と刻まれた石碑(左の画像)と, 体育館方面です(右の画像)。   ↓  ↓
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▼ 学校時代の面影を残している光景  ↓  ↓
(上の画像)バックネットです。ここで児童たちは野球に興じたことでしょう。 (下の画像)卒業記念の似顔絵と手形です。
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▼ 今は使われなくなった水のみ場(上の画像)と, 正門とは別の通用門(下の画像)です。こちらには歴史が感じられます。   ↓  ↓
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*取材日 2011年7月12日 次回からの閉校跡地は茂木町からです。



閉校跡地-32 (芳賀町立上稲毛田小学校)

2012/02/28
閉校跡地-32 (芳賀町立上稲毛田小学校)


   芳賀町大字上稲毛田825
   (現在はJAはが野 デイサビ-ス「すこやか南高」として利用 )
       *取材日 2011年7月12日

  沿革
    明治25年 9月 7日  明善学舎を上稲毛田宿通りに
                    移転して上稲毛田小学校を設立
    明治39年 2月19日  現在地に敷地を移転 新築落成式挙行
    昭和16年 4月 1日  南高根沢村立上稲毛田分教場と改称   
    昭和22年 4月 1日  南高根沢村立上稲毛田小学校と改称 
    昭和29年 3月31日  芳賀町立上稲毛田小学校と改称
    平成11年 3月31日  芳賀町立法師戸小学校へ編入
                    芳賀町立上稲毛田小学校を閉校                


▼ナビの案内に従って行ってみました。
到着したのがこの場所です。↓↓
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(左画像) 何か案内板があります。そこには「すこやか南高」とありました。どうやらデイサ-ビスの施設のようです。  (右画像) ナビの案内に任せて道を左折すると, 学校の校門らしきものが.....。


▼ 校門を通過して進みますと, 学校の建物がありました。↓↓
建物には「芳賀なんたか デイサ-ビスセンタ-」の表示があります。現在は, デイサ-ビスセンタ-として利用されているようです。
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▼ そしてそこには, 何処の閉校跡地でも見かける光景がありました。↓↓
校歌を刻んだ碑です。そして裏側には学校の沿革が記されています。ここも同じでした。
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右の碑は, 閉校時に芳賀町が他の閉校同様に設置して健立したものです。左の碑も閉校記念碑ですが, こちらは別の方面からの健立のようです。

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▼体育館前の碑です。↓↓
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▼ これは何処の学校にもあった二宮金次郎の像なんですが....
地震で無残にも崩壊してしまいました。↓↓
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▼ 近くにあった碑です。↓↓
草木に覆われていましたが, 「明るく 正しく 元気な子」と記されていました。文字は昭和30年代の栃木県知事だった,横川信夫氏の筆跡でした。
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▼ 校庭の風景画像です。↓↓
春になると桜が咲いて, ここで学んだ児童たちのことを思い出すのでしょう。
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次は「稲毛田小学校閉校跡地」です。



八木岡の雪景色

八木岡の雪景色

前夜 真岡地方も雪が降ってきました。降ってきたと言っても可愛らしいもので, 期待した積雪は望めそうもありません。外出先からの帰途でしたが, クルマの中から見る光景は幻想的でした。このまま積もってくれれば.... 明日は雪の沿線の撮影ができる。そんな思いでクルマを走らせていました。

翌日 撮影目的地の八木岡に行ってみました。雪景色は期待できませんでしたが, それなりに雪を取り入れた撮影ができました。


▼ ここからが撮影報告?です。↓ ↓


私の撮影地点より見た北関道方面です。ここからSL蒸気機関車が登場するのです。

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撮影地点より東方面には, 加波山や八溝の山々が見られます。↓ ↓

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北関道を交差して機関車が遣ってきました。 ↓ ↓

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僅かな雪景色の中, 機関車は瞬く間に走り抜けます。 ↓ ↓

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撮影に夢中になっているから, 機関車を追いかけるのみです。↓ ↓

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でも 自宅に帰ってこうしてブログの編集をしていると, あらたな視線から見ることができるから不思議です。SL機関車の撮影は, 撮影してる時と帰って編集している時の楽しみがあるのです。

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先の重連の撮影に続いての撮影でした。撮り鉄の撮影は久しぶりになっています。これから桜や菜の花の季節になりますが, その時は積極的に撮影に出かけたいと思います。

SL重連運行-3 (七井--益子)

SL重連運行-3 (七井--益子)

▼ 七井駅を出発し, 益子方面に数百メ-トル進むと田園風景が広がります。今回は線路際ではなく, 少し離れた場所から撮影することにしました。背後光景の移動で, 機関車の走行感を感じ取ってください。  ↓ ↓ ↓

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このあたり
数ヵ月後には, 一帯が秋麦の光景となります。

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背後の丘から見ると, 機関車の背後に秋麦の光景が見られ違った世界が展開します.....。時期がきたらチャレンジしてみようと思います。

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帆走しているクルマはビデオの撮影でしょうか?

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▼ 列車が国道123号線に差し掛かる頃には, 背後に八溝山脈の山々が視界に入ってきます。↓ ↓ ↓

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この場所は, 新緑の頃には鯉のぼりが泳ぎ撮影ポイントでもあります。今回の撮影はここまでで終了です。
( 撮影 2012年2月5日 )

閉校跡地-31  (祖母井小学校)

閉校跡地-31 (芳賀町立祖母井小学校)


【所在地】  芳賀町祖母井338 (現在の芳賀東小学校)





【 沿革 】

明治  7年 8月  好徳館として創立
    14年 6月  祖母井小学校と改称
    25年 4月  祖母井村立尋常小学校となる
昭和 22年 4月  祖母井町立祖母井小学校となる
    29年 3月  芳賀町立祖母井小学校となる
平成 10年 3月  芳賀町立与能小学校と統合
             芳賀町立芳賀東小学校となり閉校



▼ 「祖母井小学校跡地」は, 芳賀東小学校の敷地内にありました。↓ ↓

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▼ 芳賀東小学校の校門です。 ↓ ↓
真っ直ぐ進むと, 校舎や校庭があります。

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▼ 校門を入って直ぐ左手には, 体育館がありました。↓ ↓

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▼ 道路よりの一角には
「祖母井小学校」を記念する旧跡がありました。

これは祖母井小学校の校歌が刻まれた石碑です。
裏側には, 学校の沿革が記されていました。↓ ↓

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閉校記念して健立された碑。↓ ↓

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▼芳賀東小学校の敷地に近づいてみました。 ↓ ↓
ここには二宮金次郎の像があったのでしょうが,
先の地震のため崩壊してしまって台座だけが残されていました。 

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ここを撮影中に, 校庭で遊んでいた子供たちが私に気付きました。そしてカメラの構図の中に入ってくるのです。

▼ 台座の場所から, 校門方面の画像です。 ↓ ↓

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ここを取材したのは夏の真っ盛りでした(取材日 2011年7月12日)。

SL重連運行-2 (茂木駅発車)

SL重連運行-2 (茂木駅発車)

茂木発の撮影地をここに決める前に, 人気のお立ち台「天矢場」を通過してきました。予想通りに,道路脇の駐車エリアは満杯でした。道の駅からの撮影も検討したのですが, 前回の撮影地なので茂木駅発車に決定です。


▼ 引込み線にて待機していた二両の機関車が, 本線に入るために動き出しました。 ↓ ↓

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▼ ホ-ムでは, 沢山の人が機関車の入場を待っていました。 ↓ ↓
それに負けずに, 撮影の人たちもあちこちに待機しています。

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▼ ホ-ムで発車を待つ機関車.....
噴煙をあげ発車準備が完了です。↓ ↓

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▼ いよいよ発車です ↓ ↓

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少しづつ ゆっくりと 前に進み始めました。  ↓ ↓

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お客さんを乗せ
また, 多くの撮影者が待つ沿線に向かって出発です。 ↓ ↓

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「ふるさと探訪人」も, 安全運転で後を追いかけ出発しました。次の撮影予定地は, 七井駅南の田圃の中です。(撮影日 2012年2月5日)

SL重連運行-1 ( 寺内駅 )

SL重連運行-1 ( 寺内駅 )

ある時に, 先輩より「SLの二重連運行」の情報を戴きました。当初は日程の関係で撮影には行けないのではと思っていましたが, 何とか遣り繰りして行くことができました。

▼ 行く先は決めていました。寺内駅です.....。
でもそこに行く前に「人気スポット八木岡」に寄ってみました。過去に何度も訪れているこの地ですが.... 今回も物凄い混雑でした。田圃の中の撮影地点ですが, 狭い農道にクルマがギッシリです。私も過去に何度かこの地で撮影しましたが, 今回は遠慮です。

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▼目的の寺内駅での撮影画像です。↓↓
ここでの撮影には10人位が来ていました。機関車が到着するまで,暫し雑談で親交を.... 。中には以前に見かけたことのある方も....

いろんな思いで待機しているうちに, 重連の機関車が到着しました。
ホ-ムでは小さな子供たちを連れた家族の方たちも待っています。↓ ↓

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ホ-ムに到着です。↓ ↓

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▼ 1分の短い停車時間.... ↓ ↓
カメラを向けているうちに, あっという間の発進です。

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この瞬間は何とも言えません。
SL撮影の冥利につきるような気がします。


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茂木行きの二重連でした。次は茂木駅発の様子を掲載します。

道の駅「にのみや」

道の駅「にのみや」

    場所 〒321-4521 栃木県真岡市久下田2204-1
    TEL / FAX 0285-73-1110 / 0285-73-1109

道の駅「にのみや」は新 国道294号線沿いにあります。真岡方面からだと久下田(旧二宮町)を過ぎて, 築西に向かう途中にあります。


▼ 入り口にあるのは, 道の駅の看板と二宮金次郎の像です。奥の方に「尊徳物産館」があります。。↓ ↓

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▼ 物産販売施設「尊徳物産館」 は, 日本一の生産を誇る“いちご”をはじめ, 地元で採れた新鮮な野菜とかが販売されてます。。↓ ↓

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▼ 「尊徳物産館」の中に入ってみますと....
「いちご」にちなんだお土産などが陳列されていて, ここは「いちご」一色って感じです。。↓ ↓

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▼ 道の駅の敷地内にある「いちごふれあい館」です。↓ ↓
中に入ると, パネルで「日本一のいちご産地」について展示してあります。

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▼ ここは「いちご情報館」
温室の中で「いちご」が栽培されています。↓ ↓

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(ここの取材は1月12日でした)

ミゼットと三輪自動車

ミゼットと三輪自動車

時々写真撮影に同行させていただいている先輩より, 「真岡市古山の道の側にミゼットが置いてある」との情報が寄せられました。昭和の名車見たさに, 早速行ってみることにしました。

▼ ダイハツミゼット  
ミゼットが発売開始されたのは昭和32年(1957年)で, 昭和47年(1972年)生産が中止されるまでに約33万61千台生産されたそうです。その内の約半分は東南アジア方面に輸出されたようです。

このクルマが何時頃生産されたかは不明です。 ↓  ↓
画像検索で探してみたところ, 一つライトの画像はあったのですが.... 。詳しい情報がありましたら教えていただければ幸いに思います。

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▼ ミゼットの隣にありました。  ↓  ↓
これも多分 ダイハツだと思います。ブログ作成過程ではマツダかなとおもいましたが, ダイハツの画像検索で似たようなのがありました。どこの三輪自動車か探訪人は確定できませんでした。

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≪編集裏話≫
今回紹介した画像ですが, 正確性を期すためにダイハツ様やマツダ様のサイトに訪問させていただきました。情報頂いた先輩のためにも, 早急にネット発信したかったのですが, 探訪人の力量不足で遅くなってしまいました。

( 取材日 2012年1月12日)

定点撮影 (久下田駅前の郵便ポスト)

定点撮影 (久下田駅前の郵便ポスト)

久下田駅前に廃虚となった家があります。そして側には昔懐かしい丸型の郵便ポストがありました。


▼ 2009年7月30日撮影の丸型 郵便ポストです。
以前見かけたときは, ペンキで新たに塗り直されてたんですが...
( これは塗り直される前の画像です )

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▼ 最近行って見ると, 新しいポストになっていました。

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廃虚となった家に掲示されていた, 電器店の看板は健在でしたのでホッとしました。( 取材日 2011年7月12日)

閉校跡地-30 (与能小学校)

閉校跡地-30 (与能小学校)

所在地  芳賀郡芳賀町大字与能1514-2


▼ 田園地帯の中にある「総合情報館分館」, ここが旧与能小学校の跡地です。↓ ↓

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平成10年3月に閉校となった与能小学校ですが, 学校の沿革を紹介しておきます。

 【沿革】
明治6年 6月27日 観音寺に与能学校を創立
   25年11月18日 与能尋常小学校と改称
昭和16年 4月 1日  祖母井町与能国民学校と改称
   22年 4月 1日 祖母井町立与能小学校と改称
  29年 3月31日 芳賀町立与能小学校と改称  
平成10年 3月31日 芳賀町立祖母井小学校と統合
          芳賀東小学校となり閉校
  


▼ 校庭から見た小学校時代の建物です。↓ ↓
校庭の一部はゲ-トボ-ル場として使用されているようで, 長椅子が設置されていました。

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校舎の左側には体育館がありました。↓ ↓
南側の小山や,そこにある2つのトンネルの中で子供たちが遊んだのでしょう。

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▼ 玄関側にあった与能小校歌の碑で, 裏側には学校の沿革が刻まれていました。↓ ↓

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▼ 創立百周年を記念した碑で, 当時の栃木県知事. 横川信夫さんによる「真心」の文字が刻まれています。 ↓ ↓

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▼ 昭和60年度卒業生による手形です。↓ ↓
こうして見える形で残せるっていいですよね...と言いたい所ですが, 閉校への寂しさもあり複雑な気持ちかもしれません。

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▼ 二宮金次郎の像が, 地震による倒壊を免れて建っていました 。↓ ↓

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▼ 真夏の訪問でしたので, 木陰で一休みをして取材終了です 。↓ ↓
 
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一休み後は, 次の取材地である祖母井小跡地に向かいました。
( 取材日 2011年7月12日)

村上城跡 (市貝町)

村上城跡(市貝町) 

今回の「村上城跡」は, 主催の途中の 国道294脇の看板でよく見かける場所です。芳賀郡の探訪をしている私も, 一度は行かなくてはと常々思っていました。城跡に行くには 林の中の細い道を進まなくてはならず, 対向車が来たら完全にアウトです。でも幸いに対向車もなく到着することができました。

到着したものの, 凄く急な石段が続いているのです。体力に自信のない私ですので, 半ば諦めかけていました。すると1台のクルマが来て止まりました。あるデイサ-ビスのクルマでして, 石段を登らなくても行けると教えてくださいました。

▼画面奥が急な石段です。
ここを登らなくても, 左の小道を行けば城跡に到着できるとのことでした。左の方にある石柱が「村上城跡」の案内標識です。↓ ↓

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▼ 教わったように行くと, 城跡に到着です。 ↓ ↓ 
村上城の案内板がありました。 

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案内板です。 ↓ ↓
この画像をクリックしていただければ 内容を読むことができるのですか, 引用として記載しておきます。

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引用=>> 村上城跡  観音山(172.2m)に築かれた山城で, 東西約200m, 南北約250mの規模である。本丸は山頂にあって, 東西約40m, 南北約85mで不整な三角形状をしている。 築城について古文書によれば文治3年(1187)平宗清の守る村上城が落ちたとあることから, 築城の時期は平安時代末頃と思われる。その後, 永和4年(1378), 益子氏の一族村上新助良藤によって現在の遺構のような城が築かれ, 村上氏は3代, 50年にわたって居住したと伝えられている。 ↑ ↑ 以上引用

▼ 案内板の近くに, このようなものも....  ↓ ↓
木の切り株なんですが, 犬の顔にそっくりですよね。
自然のままなのか, 少し手を加えたものなのか確かめはしませんでしたが....。

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▼案内板の先には千手観音のあるお堂が見えます... ↓ ↓

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▼ お堂に行く途中には, このような観音像がありました。 ↓ ↓
観音様の足元で, 祈りを捧げている御2人のお姿... こころに感ずるものがありました。こうした姿って美しいですよね。私も御2人のように, 何かに祈りを捧げる心境になりつつあるのかもしれません(歳をとってきたと言うことかな?)。

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▼ 千手観音堂です。↓ ↓

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付近にあった案内板と, その内容の引用を抜粋引用しておきます。↓ ↓ 
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抜粋引用=>> 村上城跡  
村上城の築城時期は, 古文書によれば平安時代末ごろと思われる。その後, 永4年(1378年)益子越後守正宗の次男, 村上新助良し立龍らによって現在の遺○のような城が築かれたと伝えられている。それ以前は子孫女と称していたが, この時より地名を村上と改称したという。
千手観音
県指定有形文化財 千住観音 ご本尊千住観音像は行基菩薩, 御前立は○○○師の作と伝えられていたが, 御前主は鎌倉時代のものである。栄徳寺は, 弘仁6年(815年)嵯峨天皇の御代に開山されたという。 <<= 以上抜粋引用
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▼ 城跡にはモミジが植えられており, 紅葉の時に再度訪れたいと思いましたが都合により叶いませんでした。

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( 取材日 2011年10月4日)

閉校跡地-29 (芳賀町.高橋小)

閉校跡地-29 (芳賀町.高橋小)

所在地 芳賀郡芳賀町大字西高橋2615
沿革 1996年3月に閉校 (芳賀町立水沼小学校. 水橋小学校. 高橋小学校の3校が合併し、芳賀南小学校として開校するために閉校となる。)



高橋小学校の跡地は, 真岡方面より県道156号を芳賀町に向かう途中にあり, 道路脇には案内の表示がありましたので直ぐに分かりました。

▼ 標識を右折して, 民家の前を通り過ぎると学校の跡地です。 ↓ ↓

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▼ 校門を入り右手には, 校歌を刻んだ碑や時計塔そして二宮金次郎の像などが一箇所に纏められてありました。 ↓ ↓

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▼ ここの金次郎像は地震の被害を免れたようですが, 校庭には積まれた沢山の瓦礫が見られます。 ↓ ↓

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▼ 校庭の隅にあった水場。今はここで手足を洗ったり,水を飲んだりする子供たちの姿はありません。 ↓ ↓

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▼ 過っては子供たちを見守ってきたであろう大木, 今は静かに佇んでいました。 ↓ ↓

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取材は2011年07月26日です。水沼小学校. 水橋小学校. 高橋小学校の3校が合併し、芳賀南小学校となったのですが, 水沼小学校の跡地は現在確認できていません。

大内村役場

大内村役場

所在地 真岡市飯貝478
建築年 昭和4年

鉄筋コンクリート造2階建の村役場の建物 当時の鉄筋コンクリート造は少なかったそうです。保存状態も良いので, 現在は市の資料館として使用されています。

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大内村の沿革
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により,12の村々が合併して芳賀郡大内村が成立しました。そして1954年(昭和29年) 3月31日 真岡町.山前村.中村と合併し真岡町が誕生, 同年10月1日 真岡町が市制施行し真岡市となり現在に至っています。。





▼ 役場の入り口です。 ↓ ↓
クルマで進入できないように鎖で車止が設置されていました。

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▼ 役場の玄関です。 ↓ ↓
約80年前, 農村地帯にこのような建物が出現したわけですから, 当時の人々の驚き?は如何ばかりだったことでしょう。

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▼ こちらは建物の西側の出入り口です。↓ ↓

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▼ 庭の東には「忠魂碑」が建っていました。↓ ↓

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(取材に訪れたのは, 昨年の9月22日でした)

今年の初探訪

続. 道路の真ん中にお地蔵様

昨年後半からブログの更新も滞っていましたが, 停滞から抜け出すべく初探訪に出かけてみました。出かけた先は,昨年訪れた「道路の真ん中のお地蔵様」です。

昨年に訪れたのは, 3月10日でした。まさか...翌日に「東日本大地震」が発生するとは,夢にも思いませんでした。時が経過するにつれ, 「道路の真ん中」のお地蔵様はどうなったかと案じていました。

お地蔵様の場所に行くと
1年前と換わらぬ姿で, 私の前に姿を見せてくれました。

寒い時期ですので
お地蔵様の装いも暖かそうでした。

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近くに寄ってお顔を拝見させていただきました。 ↓ ↓
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少し左よりです ↓ ↓

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そして背後よりです ↓ ↓

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そして右側より... ↓ ↓

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お地蔵様の表情は, 見る位置により異なってくるんです。不思議ですよね...。なんて感心しているのは私だけかも知れませんが...。

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こうして拝見していると, 親しみが湧いてくるから不思議です。

謹賀新年

謹賀新年

読者の皆様 今年も 当ブログを 
宜しくお願いしますね

新年初の更新は管理人が年賀葉書に使用したものです。

◆ その1
北真岡駅から, 西田井駅方面です。
望遠で撮影しました。

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◆ その2
上記の撮影地点からさらに進んで
リス村付近の踏み切りからの撮影です。

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これから当分は寒い日が続きますが, こうした桜や菜の花の光景を待ち望みたいと思います。

新年を待ちスタンバイ

新年を待ちスタンバイ

暮れも押し迫った28日, 東郷にある大前神社に行って見ました。境内は至る所で正月の準備が進められ, あとは初詣に訪れる人々を待つのみになっていました。

▼ 初詣者を待つ大前神社本殿です。
参道の両側には,テントが設置されています..... ↓ ↓

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年が明けると, この参道も参拝者の姿で埋め尽くされることでしょう。↓ ↓

 
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▼ 同じ敷地内にある恵比寿神社です。

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入り口の両側には, お守りの売り場になっていました。 ↓ ↓
いろんな種類のお守りがあるのでビックリです。

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恵比寿神社で祈願した人の中で, 年末ジャンボの一等に当選した人もいたそうです。

準備完了で, スタンバイ中の大前神社よりでした。

閉校跡地-28 (茂木町立桜井小)

閉校跡地-28 (茂木町立桜井小)

芳賀郡内の閉校跡地を勢力的に探訪してきましたが, ここほど分からなかった跡地はありませんでした。後ほど掲載しますが,千本小の跡地を探していた時に微かな情報を得て訪ねることにしました。どの辺りとの情報は得たのですが... その付近に行ってみるとサッパリでした。

国道294沿いにお店らしきものがありましたので,立ち寄ってみました。お店のオバサンは椅子に座って居眠り?していました。店の中に入ると,お客らしい方がいました。その方に桜井小の跡地の場所を教えていただき,その通りに行きましたが...。「ここから5分くらいで,二宮金次郎の像があるからわかるよ」とのことでした。

像があるとのことなので,周囲を確認しながらクルマを走らせました。でも像は見つけることはできませんでした。途方に暮れていると地元の人らしい方がバイクで通りました。その方に訪ねると,直ぐ近くとのこと。後を付いて来なと案内してくださいました。そして「ここが桜井小のあった場所だよと」...。二宮金次郎の像については分からないとのことでした。

取材の内容を検討していると,やはり地元の方の運転する軽トラが来ましたので手を上げました。像は現在地にあるとのこと...。草木が覆い繁っているので分からなかったのです。

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これからが取材内容です。


今回取り上げる「桜井小」は,1985年(昭和60年)に千本小と統合し須藤小となりました。はじめに桜井小の沿革を紹介しておきます。

【 桜井小沿革 】

        明治 8.5 道生舎として開校
          25.4 生井分教室、山田分教室は
               千本尋常小学校生井分校、 山田分校と改称
          33    生井尋常小学校、山田尋常小学校と改称
          37    両校合併し桜井尋常小学校と改称
        昭和16.4 桜井国民学校と改称
          22.4 須藤村立桜井小学校と改称
          29.8 茂木町立桜井小学校と改称
          60.3.31 閉校

2度に渡っての取材ですので,定点撮影風に取り上げてみました。緑の見られる画像は,8月6日です。そして冬枯れの淋しさの漂うのは12月11日です。4ヵ月違うと,周りの景観もすっかり変わってしまいます。この跡地は紅葉の時期に来たかったんですが....探訪管理人の諸事情がありまして願いが叶いませんでした。

この画像の左部分に跡地があったのです。 ↓ ↓
初回訪れたときは,草とか覆い繁っていて全く分かりませんでした。今回は直ぐに分かりました...と言っても2回目でしたので...。

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▼ 前回との定点撮影として何枚か掲載しておきます。 ↓ ↓

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▼ 前回訪問時に,台座にある草木が気になっていたんですが, 今回確認したところ実を付けていました。土に根を下ろすんでなく,台座で頑張ったんだ... そんな姿に強い生命力を感じさせられました (画像をクリックして拡大でご覧ください)。 ↓ ↓

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▼ 開校100年の記念碑です。 ↓ ↓

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碑の裏側には
学校の沿革とかが刻まれていました。 ↓ ↓

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▼ 閉校になった時の記念碑....
最後の在校生たちの名前が刻まれていました。 ↓ ↓


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久しぶりの発信です

 いろいろと多忙が続きまして,当ブログの更新も疎遠になっていました。今日は久しぶりに茂木方面へ出かけてみました。行き先は廃校跡地の訪問でしたが,その内容は後日紹介する事にしまして「道の駅」よりの発信です。


 何時も行くたびに目にしている光景です。
紅葉の時期は過ぎてしまいましたが.......。

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紅葉?の名残を留めている木々が印象的でした。
この奥には,蒸気機関車撮影の人達が待機していました。

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「道の駅」売店で棚田米と鮎(卵持ち)を買い求めました。棚田米は当ブログでも訪問している棚田で収穫された米です。早速食べましたが美味しかったです。

道端の「道陸神」    

道端の「道陸神」 

   場所 茂木町上後郷(かみうらご)  

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 九石のケヤキに行く途中, 以前より気になっていた案内板があったので立ち寄ってみることにしました。

案内板の下方には祠のようなのが見えます。 ↓ ↓

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案内板には文字がギッシリと書かれていました。
その内容を引用します。 ↓ ↓

案内板の引用 ==> この神は道路や旅行者を守り 悪気.邪神をさえぎり防ぐ神などともいわれ, 複雑な性格を持ち, 多くは石や木をもって象徴され, 道に座して悪病を防ぐ威力をもつ神とされています。 村境.峠. 辻などにあって外からはいってくる悪病を防ぐと同時に, 道路. 旅行者の守護神, その他村人の運命をつかさどり, 縁結びをおこない, 子供の守り神として現在でも各地で信仰されています。 なお, これより北北西300米には弁天石があり, その昔, 道陸神が偶然出会った弁天様のあまりの美しさに一目ぼれをし, 追いかけましたが, 弁天様は石の中に隠れてしまい, 弁天様を見失った道陸神は, 弁天様を待つためにこの地に座したと伝えられています。 また当地では古くより『どうろく様』の愛称で信仰されて, 特に体の下半身の病, 子授けには絶大なる御利益が有るとされていますが, 老若男女を問わずこの神を信仰することにより, いつまでも健康と幸せが保てると言われています。 <==以上案内板からの引用


 祠です。
その向こうには鳥居がありました。 ↓ ↓

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鳥居を潜って祠の所に行ってみます。 ↓ ↓

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祠の前には, 案内板の内容から連想するものが....↓ ↓
(念のために画像は加工してあります)

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 祠の中です。↓ ↓

説明はしませんので, 案内板の内容を参照にしてください。

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微笑ましい地蔵様もいました。 ↓ ↓

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( 取材日 2011年09月29日 )


閉校跡地-27 (市貝町.上根小)

閉校跡地-27 (市貝町.上根小)


所在地 市貝町上根
閉校   昭和58年
沿革   明治 8年 上根小学校として開校する  
      明治33年 上根尋常小学校となる
      昭和29年 町村合併により市貝村立上根小学校となる
      昭和58年 市塙小学校と統合により閉校


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正門の門柱
石段が続いているが, 草が繁り往時の面影は感じられませんでした。 ↓ ↓

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 草の繁った石段を上らないと行けないのかと, 諦めようとしたら右の方に通路が...... ↓ ↓

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そこを少し進むと, 背丈の低い門柱らしきものが視界に入りました。ここは通用門だったようです。 ↓ ↓

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校庭跡から見た正門の門柱です。 ↓ ↓

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こちらは百年記念碑と閉校記念碑

百年記念碑は先の地震のため倒壊してしまってました。

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閉校記念の碑文より引用しておきます。
引用==> 明治八年小学校令により古寺に上根小学校として開校する  明治三十三年上根尋常小学校となり 昭和二十九年町村合併により市貝村立上根小学校となった
昭和五十八年市塙小学校と統合により本校は百有余年の歴史を閉じた
ここに永く後世にその名をとどめるため記念碑を建立する <==以上引用



 往時を偲ばせる数々の設備?が残っていましたが, 今は利用する人も無く錆び付いていました。 ↓ ↓

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( 取材日 2011年10月06日 )

お堂の彼岸花 (茂木町. 烏生田) 

お堂の彼岸花 (茂木町. 烏生田)  


この場所を知ったのは5~6年前, 全くの偶然です。近くにお気に入りの田園風景があり, そこの撮影の時に周囲を散策したらありました。それから毎年彼岸花の咲くころになると出かけています。


 所在地です。

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 下見も兼ねて何回か通いました。↓ ↓
   そして最盛期の彼岸花に出合ったのです。

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道路より花越しに見たお地蔵様です。↓ ↓

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お堂に行く階段の両側も彼岸花がギッシリと咲いていました。↓ ↓

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先ほどのお地蔵様です。
  左右から撮影してみました。見る方向により表情が異なるように思いませんか? 。↓ ↓

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右隣にある別のお地蔵様です。

  祈る姿って心に何かを感じさせてくれるようです.... 。↓ ↓

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(お堂とお地蔵様を取り巻く沢山の彼岸花, その光景に魅せられて何度も何度もシャツタ-を押し続けました。)

閉校跡地-26 (茂木.小井戸小)

 閉校跡地-26 (茂木.小井戸小)

茂木町立小井戸小学校
     1966年〈昭和41年〉茂木小学校へ統合のため閉校


閉校跡地の周辺図......... ↓ ↓

A.B.Cで記してある箇所は, 今回使用した画像の撮影場所です。

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C地点より学校跡地方面です。↓ ↓

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途中で左折すると農道があり, 正面に学校跡地の姿が見えてきます。↓ ↓

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跡地にはパン屋(栗田製パン)さんの建物になっていますが, 敷地の端には学校跡地の石柱がありました。↓ ↓

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 付近の光景 (写真蔵よりの画像)
以下に紹介するA~Cの場所は, 今までも何度か訪れていました。

〈画像AB〉 これは幻の鉄道跡地です。↓ ↓
過って鉄道は茂木の先茨城県まで延びる計画でした。それが戦争で中断され, 軌道跡のみが現在も残っています。

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〈画像C〉 この場所は, いつも秋になるとカメラの被写体になりました。小井戸小学校が存在していた頃, 通学の子供たちも今と同じ光景を目にしていたかもしれません。 ↓ ↓

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小井戸小学校の沿革とかネットで調べたんですが, 詳細は分かりませんでした(取材 8月6日)。

上後郷と九石のケヤキ  

上後郷と九石のケヤキ  

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 上後郷の田園風景 (撮影地B)
上後郷は「かみうらごう」と読むそうです。地名の読み方って難しいですね。

“九石のケヤキ”に行くためにクルマを走らせていると, 田圃の「おだがけ」とそこに咲く彼岸花が目に留りました。 ↓  ↓

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この組み合わせは大好きな光景ですので, クルマを降りて撮影です....... 。

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そこから数十メ-トル先にも, 「おだがけ」と彼岸花がありました。 ↓  ↓

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以前(3年前 )来た時は11月でしたが, その時とは全く違う光景です。

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「おだがけ」と彼岸花の光景を満喫した後は, 九石のケヤキに向かいました。 ↓  ↓


 九石のケヤキ 

3年ぶりの “九石のケヤキ”です。 九石」はこのあたりの地名ですが, 「さざらし」と読むそうです。

  ↓↓ そこにある案内板には次のように記されてありました。
引用==> 【 栃木県指定天然記念物   所有者 九石雅司 昭和31年6月15日指定     ケヤキはエノキ科の落葉高木で, 本州各地に自生し, 栃木県内でも平地から山地に分布する。この地(九石)は, 元禄11年 (1698) 旗本 梶川与惣兵衛照元の領地となって以来, 梶川氏が領地巡視の際は必ず この木の下で休み, まれにみる大木であると称賛してからは, 以後, この地を大木の下と称せよと命じたと言われる。県下にはまれにみる古木であるにも関わらず樹勢さかんである  】<== 以上引用 

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木の近くには, 町営バスの停留所があります。停留所名は「大木の元」でした。  ↓  ↓

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また少し離れたところには自動販売機が..... 。
???でしたが, あまり深く考えないことにします。  ↓  ↓

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